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ちょっといい話バトン
ウソウソ(笑)そんなバトンはありませんが、○−さんジェイミ−さんと「ちょっといい話」を読んで、私も書いてみたくなった(笑)負の連鎖はイヤだけど、こういった気持ちが暖かくなるような話はいいよね。

さて。トルコといえば02W杯では日本のベスト8進出を阻んだ国。最近では国際試合でのマナーの悪さが目立ってしまった感もありますが、確かにサッカーに関しては熱い国です。でも、この国ってとっても親日家なんですよ。


「エルトゥールル号の遭難」って知っていますか?この話を子供の頃聞いたり、本で読んだことがありますか?
トルコではずっと語り継がれている話だそうです。日本では、02W杯以後になってテレビの番組で取り上げられたり、小学校の課題図書になったりして少しづつ浸透しつつあるようですが、知らない人があまりに多すぎるようです。私も02W杯の時にこの話をネットで見るまでは知りませんでしたもの…。

それはこんな話…

「1890年(明治23年)9月16日夜半、和歌山県樫野崎灯台沖。明治天皇への使節団を乗せた軍艦「エルトゥールル号」が母国トルコへ帰還する際、折しも台風の影響を受け座礁、そして沈没した。遭難船から灯台下に流れついた何人かは大島村(当時)の人達に助けを求めた。大島村の人は総出で救出にあたり、生存者を懸命に介護した。

しかし、ここで問題があった。あまり豊かではなかったこの村では貯えわずかな食料もすぐに底をつき、怪我をしたトルコ人たちに食べさせることができなくなってしまったのだ。村人達は考えた。非常食用に飼っていた鶏をつぶして食べてもらおう・・。

結果、587名が死亡または行方不明となる大惨事ながら、69名が生還。その後、生存者は日本海軍の「比叡」「金剛」2隻により無事トルコへと送り届けられた。



「エルトゥールル号の遭難」からさかのぼること4年前、1986年にやはり同じ和歌山県沖でおきた※ノルマントン事件は歴史の教科書に載っています。
(※和歌山県沖でイギリスのノルマントン号が沈没した時、イギリス人船長はイギリス人乗組員のみ全員助け、同じ船に乗っていた日本人25人を見殺しにした事件)
「ノルマントン事件」を教え、「エルトゥールル号の遭難」を教えない日本って…なんか変?
 
それにしてもこれだけでも「いい話だな」と思うのですが、実は両国の間には95年の時を経てもう1つの物語があるのです・・・



「イラン・イラク戦争の最中、1985年3月17日の出来事である。
イランのサダム・フセインが「3月19日午後8時をもって、イランの上空を飛ぶ全ての飛行機を打ち落とす」と衝撃的な声明を出した。タイムリミットは48時間。

当時イランには日本企業の人達やその家族が住んでいた。急いで48時間以内に出発する航空機の空席を手配し、テヘランの空港に向かった。しかし空港に着いてみるとどの飛行機も満席で乗ることができなかった。各国航空会社は予定していたフライトを特別便とし、自国民を優先したのだ。救援機を飛ばし自国民を救出する各国に対し日本政府は素早い対応ができなかった。
そして、日本からの救援機は来ない…という絶望的な連絡が入る。

空港にいた日本人たちはパニック状態になっていた。

フセインの全面攻撃の時間まであと2時間。

この時、2機の飛行機がテヘラン空港に到着した。機体には月に星のマーク、トルコ航空の救援機であった。2機は日本人215名全員を乗せて、成田に向けて飛び立った。タイムリミットの1時間15分前であった。

なぜ、トルコ航空機が救援に来てくれたのか、日本政府もマスコミも知らなかった。
前・駐日トルコ大使、ネジアティ・ウトカン氏は次のように語られた。

「エルトゥールル号の事故に際し、大島の人たちや日本人がなしてくださった献身的な救援活動を、今もトルコの人は忘れていません。私も小学生の頃、歴史教科書で学びました。トルコでは、子供たちでさえ、エルトゥールル号のことを知っています。今の日本人が知らないだけです。それでテヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空機が飛んだのです」


この話はプロジェクトXや他の特番でも取り上げられたそうなので見た方もいらっしゃるかもしれないですね。95年前に受けた恩をわすれない・・・今の日本が殺伐としているからかなぁ・・この話を読むと泣けてくるんですよね。
これを読んで下さった皆さん、ユーロではトルコのこともちょっと応援してね(^^ )
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by red_catstail | 2006-04-06 16:33 | others.....
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