KOP GOD
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Liverpool 2-2 Charlton

06/07シーズン最後のリーグ戦。同勝点でガナと並び最終ゲームでの勝敗いかんで3位に留まるか、4位で終わるか・・・。
そりゃ3位の方がいいべな〜〜〜(^^;)しかも今夜は「神ファウラ−」のアンフィールドでの最後のゲームということで負けられないっ!
ちょっと前から神は今シーズン最後でアンフィールドを去るだろう、とあちこちから聞こえてきましたな。確かに今シーズンは昨シーズンの戻って来た時のインパクトは感じられなかったですものね。契約更新は難しいかな・・と。カイトとベラミの入団でほとんど出番もなかったしね・・(´-ω-`)

なんて色々エラソーに書いていますが、わたくし新米の部類に入るファンなので以前レッズに在籍していた頃の神の凄さを知らないんですよ、実は(汗;;)でもそんな私ですら今回のゲームがアンフィールド最後と聞いて何とも言えない気持ちになるくらいですから、以前からのファンで、それこそ全盛期の神を御存じの方にしてみれば感慨深い気持ちでラストゲームを迎えたでしょうね。。

レッズファン全ての願いは「神のゴールによる勝利」!
相手はすでに降格が決まっているチャ−ルトン。正直、最後まで降格争いしているチームでなくてよかった!と思っていたのですが・・甘かった(爆)プレミア最後の試合に情念をかけて挑んで来るチャ−ルトンに押されているぞ、レッズ!
開始早々の失点に思わず昨シーズンのFAカップ決勝が重なった〜〜!そこそこのメンバーで戦っているのになんかバタバタしているんですよね。。。「心はアテネ??」・・・(爆)

とにかく新人キーパーくんが危なっかしくてハラハラ〜〜(^^;)彼にとってもプレミアデビュー戦が『この試合』じゃあさぞプレッシャーだったことかと・・・。

後半。途中交代の王子の同点打で追い付いた時、誰もが思ったかも??
「神のゴールで逆転!勝利!」
このシナリオで進むと思われた試合ですが・・追加点を入れたのはチャ−ルトン(爆)なんかこの展開、ますます昨シーズンのFAカップ(汗;;;)追い付いたと思ったらまた引き離される・・(この時点で「もう寝ちまおうかな〜〜(涙)」と思ったのも昨シーズン同様^^;;)

それでも神のアンフィールド最後の試合を見届けようと思っていたらクラりんと交代ですとっ?
クラりんと交代し、ピッチを去る神をスタンディングオベーションで迎えるサポーター。「こうやって途中交代させて拍手をもらう時間を作るんだよ」とQちゃん(偽者)。
ほへ〜〜〜そうだったんですか・・わたしゃ、何で最後までピッチにいさせてあげないの?とちょっとラファを恨んじゃったじゃない(^^;)

そして、試合終了の時間が一刻一刻と近付き、もう(私が)勝ちを諦めた時・・ハンドっ!PK?
神?すでに交代していないし(爆)
おっそろしくて誰が蹴ったのかも見れず(^^;)・・・恐る恐る画面を見るとQちゃ〜〜ん(本物)!

かくして、今シーズンのレッズはリーグ戦の1戦目もPKでドロー、最後もPKでドロー(およよ)そういえばその1戦目のPKを決めたのは神でしたね・・・。
この試合、負けなくてよかったと思いつつもおそらく勝ったとしても一抹の寂しさを感じたゲームになっただろうな、と思ったのでした。

ドローで終わった時点で「あ〜〜きっと4位だろうな」って思って結果を見たら・・・ビッグ4ことごとく・・1チームも勝ちなしですかい(爆)ガナもドローだったので崖ッぷちで3位死守!(苦笑)


この試合を迎えるにあたってオフィシャルにこんな記事が載りました。さすがにこの長さは訳すのは・・無理、と思っていたところ携帯サイトに訳が載りました〜〜(感涙)
今更ながら神の偉大さを、そしていかにリバプールのサポーターに愛されていたか遅ればせながら知ったしだいです・・。



ロビーファウラー、コップの神

ロビーファウラーのアンフィールド最後の夜を前にLiverpool Fc.tvはレッズの特筆すべきレジェンドに敬意を表す。

ロビー・ファウラーがコップの間でゴッド(神)とされているのは理由のないことではない。近年のリバプールの歴史で最も尊敬された人物の一人であるファウラーは赤シャツを優雅なものとした生まれついての才能豊かなゴールスコアラーでもある。
ファウラーの目覚ましい活躍はすでに伝説の一部を成しており、その神々しさは長い間称賛されてきたファンの目に焼き付いて離れないだろう。
 
1993年のリーグカップ、フルアムとのデビュー戦でゴールを決めて以来、ファウラーはコピテス(リバプールファン)と共に決して揺らぐことのなく、衰える兆しもない熱狂を楽しんできた。
エバトーニアン(宿敵エバ−トンのファン)だったファウラーは11歳でクラブの”センター・オブ・エクセレンス”(下部組織)に入る時忠誠を変えた。
まだ幼かったものの巨大な可能性は明らかで、得点記録を塗り替え、地元の学校レベルで名声を馳せていた。

多くのクラブがファウラーとの契約を望んだがリバプールが素早く獲得に成功した。故、ジム・アスピナルが”敵”と契約するようにファウラーを説得しており、このクラブが生み出したもっとも重要な選手の一人として位置づけられた。
ファウラーは期待されたとおり順調に成長し、レッズは特別な才能を抱えているとうことが分かっていた。

1992年4月、ファウラーはプロ契約を結んだ。翌年、1月FAカップ3回戦、ホームでのボルトン戦で初めてトップチームのメンバーのメンバーリストに控え選手として名をつらねた。
リーグ下位に低迷するトロタ−スことボルトン・ワンダラーズに悪名高い2-0の敗戦を喫した夜、チームにはファウラーのような選手が必要だということが証明された、しかし、グレアム・スーネス監督は次ぎのシーズンまで起用したい誘惑を我慢した。
レッズは得点をあげるのに苦労しており、ス−ネス自身が高く評価するルーキーストライカーをクレイブン・コテージでの先発メンバーに抜擢。そしてデビューゴール。さらにアンフィールドではファウラーはよく知られる5-0で勝利した試合で全得点をたたき出した。スター誕生の瞬間だった。

天性の嗅覚でゴール前に侵入したファウラーは5試合に出場した後、最初のリーグ戦の試合球を要求し、18得点をあげ、リバプールのチーム最多得点者としてシーズンを終えた。興奮したコピテスはファウラーのトップデビューを神の干渉であるとみなし、ファウラーは数年間、きっちりとこれに応えた。

スポットライトを浴びた最初のフルシーズンでの活躍でファウラーの評判は将来有望な若手から一人前のスーパースターとなった。評価がうなぎ上がりになったのは疑いなくアーセナル戦でプレミアシップ史上最速ハットトリックを達成したからであり、コカ・コーラカップ(当時のリーグカップ)の勝利メダルを獲得したからであり、PFA(プロフットボーラー協会)ヤングプレイヤー・オブ・ザ・イヤー賞に選ばれたことが大きい。
ファウラーはさらにアンフィールドの得点記録で再びトップに立った。初めて30得点越えを達成し、いわゆる”トクステス・テラー”(トクステスの恐怖の意、トクステスはリバプールにあるファウラーの出身地)は突如フットボーラーが最も恐れるフィニッシャーの一人となった。速さと高さに欠けていたことが人並みはずれたゴールを嗅ぎ分ける能力を創り出した。ファウラーがペナルティボックス付近にいる時、相手のネットは常に危険にさらされた。

至近距離からのループも長いミドルもファウラーは素晴らしく巧みだった。大量にゴールをきめることでファウラーの株は増すます上がった。

1995ー96シーズン、ファウラーは2シーズン連続で30ゴール以上を奪い、イングランド代表にデビュー。ヤング・オブ・プレーヤー・オブ・ザ・イヤー賞を楽々保持した。
伝統の生え抜きであるファウラーの人気のスケールの大きさはケニー・ダルグリッシュ以来とみられなかったものだ。たとえ悪名高い”スパイスボーイズ”のイメージが不要な外野の関心をひきつけたとしても、おいたをすることができた。

90年代後半、論争がフィールドの上でのファウラーにつきまとったがファウラーの熱烈なファンはよくない時も支持し続けた。
愛すべき悪童、ファウラーは自分がどこの出身だったのか決して忘れることはなかったし、1997年のUEFA カップブラン・ベンゲル戦では有名なゴールパフォーマンスで解雇されあマージ−サイドの労働者を支持したこともあった。
ファウラーが2度の深刻な負傷で長くフラストレーションのたまる時期を強いられたのと、マイケル・オーウェンが出現したのは同時期だった。ファウラーが一時的に”ゴールデンボーイ”の座を失ったとしてもオーウェンは決してリバプールの観衆と同等の関係を誇ることはできなかったし、コップがもっとも支持したものが誰だったかは秘密でもなんでもなかった。

フランス人のジェラ−ル・ウリエ監督のもとファウラーは多くの問題に直面しウリエの論争を起こしたローテーション制の犠牲者となったと考えた。もはやファウラーにレギュラ−ポジションは保証されていなかったかもしれないが、ウリエはチームの志気におけるファウラーの重要性に理解を示しており、キャプテンマークをファウラーに託した。

2001年2月、ウェールズのカーディフにあるミレニアム・スタジアム(ラグビーの聖地)でのリバプール初ゲームでスペクタルな得点を記録した。ワージントンカップでバーミンガムをPK戦の末下し、6年ぶりとなるタイトルをリバプールの主将として初めて掲げた。これは前例のないカップトレブル(カップ戦3冠)の第一歩だった。ファウラーはさらにFAカップとUEFAカップ決勝でも勝利に貢献する。ともに途中出場し、終盤にゴールネットを揺さぶったのだ。ドルトムントのドラマ(UEFAカップ決勝でアラベス(スペイン)を延長戦の末5-4で下す)を終えた4日後にはまたもや得点者リストに名を刻み付け初めてのチャンピオンズリーグ予選出場権をものにした。

しかしこれだけの英雄的な得点記録にもかかわらず、ウリエがファウラーを売却しようとしているという憶測が消えることはなかった。そして2001年11月考えられない事態が起こってしまう。ファウラー自身の意志に反して記録的な移籍金でリーズに移ることになったのだ。

この事件でコップが動揺したというと著しく控えめな表現になるだろう。抗議の手紙が地元紙に溢れ、多額の移籍金が得られてとしても傷が癒されることはなかった。
ファウラーがリ−ズとその後移ったマンチェスターシティで世間を騒がせることがなかったことで売却した怒りはわずかながら収まった。しかしファウラーが愛するクラブとの別れを強制され心に傷を負ったということは誰もが認め続けていたことだった。ファウラーは偉大なレッズファンであり続け、2005年のチャンピオンズリーグ決勝を観戦するためにイスタンブールにも訪れた。

たまにファウラーの復帰の噂がスポーツ面を飾ったが、完全な作り話として無視され続けてきた。2006年1月まではそうだった。そしてリバプールの放蕩息子はセンセーショナルな復帰を果たし、英雄として迎えられる。
マンチェスターシティから移籍金なしで獲得したことはコピテスを喜ばせた。ファウラー自身も夢が現実になったと認めておりふたたび赤いシャツを身につけた時、誰もが心温まった。

アンフィールドでの再出発は最初のものほど栄光に包まれたものにはならなかったがこの2シーズンの間、サポーターはファウラーが過去にみせた魔法を垣間見る機会を楽しんだ。2006年夏にはベニテス監督が今季終了まで契約を延長。そしていよいよ忘れられない時代の終焉が迫っている。
それでもファウラーは13日日曜日、感動的な最後の別れをコップに告げようとしている。非凡な才能を誇ったロビーファウラー物語りにさらなる一賞が書き加えるかもしれない。

将来に何が待ち受けていようともファウラーが今以上にファンから愛されるなんて想像し難い。チャンピオンズリーグ決勝でも神は舞い降りるのだろうか。ふさわしいフィナーレがないなんてことはありえない。それだけは確かだ。

【リバプール在籍】
1993-2001
2006-2007

【リバプール通算成績】
368試合/183点

【獲得タイトル】
FAカップ 2001
UEFA カップ 2001
リーグカップ 1995、2001
スーパーカップ 001
PFAプレイヤーオブザイヤー1995、1996
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by red_catstail | 2007-05-14 19:21 | プレミア
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